最近読んだ本
 

ホームへ戻る
 

読んだ本の印象を書いてみます。

(1998/3月頃) 豊饒の海(春の雪、奔馬、暁の寺、天人五衰)三島由紀夫著、新潮文庫
 

 私は三島の強烈なファンですが、そのきっかけとなったのはこの本です。それ以前に、『金閣寺』や『午後の曳航』を高校の頃に読んではいました。しかし『金閣寺』はわかりそうでわからない感じでしたし、『午後の曳航』も感激するような本ではないと思います。この前両方とも読み返してみました。『金閣寺』は濃密でエネルギーを感じました。『午後の曳航』は皮肉を饒舌に描いたという感じですね。

 文庫本の紹介をしていた本の中で『春の雪』がとりあげられていて買ってみました。しかし、そのあまりに冗長な描写が落ち着きのない私には耐え難く途中で止めていたのですが、暇ができた時に再度読んでみました。回りくどい恋愛がどうもピンときませんでしたが、とにかく読み終わって次の『奔馬』にかかりました。これは面白かった。とにかくこの巻のおかげで全巻読むことになりました。右翼の少年が純粋さを追求する物語です。話の筋もおもしろかったのですが、この中でP218にある能の描写が良かった。通勤のバスの中で読んでいて戦慄しました。何か、自分の知らない美の形式がそこにあると考えました。
 

「汐汲車わずかなる浮世に廻るはかなさよ」
この言葉から、何を考えたのかいまだに言葉になりません。 3巻はあまり面白くなかった。仏教話に着いていけませんでした。それでもとにかく4巻に入りました。

 『天人五衰』は出張の時にJRに乗る直前に買いました。乗車した後で読み始めて、自分が何か特別なものを読んでいることがすぐにわかりました。読むのを中断するとき、本を閉じて思わず息をつぎました。それまで呼吸をしてなかった気がしたのです。その部分は、海の描写が少年の目をとおした眺めとして長々と続くのですが、そこに人が物を眺めるときのメカニズムが表現されていると思います。簡単に言うと、まず見て、次にそれを自分自身の思考を(あるいは他の、感情であっても良いが)とおして判断し、その結果を自分が見た物と考えるやり方です。それは主観的に物を見ざるをえないと言うことですが、そう言ってしまうと当たり前すぎます。三島の場合はもう少し踏み込んで、考えすぎる男ですから、そこに三島自身を縛り付ける自我が現れてきます。
 

「沖に一瞬、一箇所だけ、白い翼のように白波が躍り上がって消える。あれには何の意味があるのだろうか。崇高な気まぐれでなければ、きわめて重要な合図でなければならないもの。そのどちらでもないということがありうるだろうか?」
 沖の白波が弾けることに、いちいち意味があるわけではありません。しかしそこに何かを考えずにいられない人の思考の在り方が現れています。何かを見たときに、因果と意味をどうしても考えずにはいられない自我に捕らえられてしまった人間の在り方が書かれています。それはもちろん私自身でもあるわけですが。
 
 
 
(1998/10/19)文豪ミステリー傑作選 三島由紀夫集  三島由紀夫著、河出文庫
この中の「水音」が良かった。近親相姦の傾向のある兄妹が、病気で(たぶん性病)頭のぼけた親父を毒殺する話。親父は若い頃遊び人であった。母親は死の間際で自分の仇をとるように妹に言い残す。この短編は何か描写方法が異なる気がする。読み始めから結末に向けて、常に同じ調子を持った冷たい視線がある。結末までひとつながりだ。
ホームへ戻る